なぜ、自分との約束を守ると自信が戻ってくるのか?

更新日:10 時間前
8月31日の夜、
泣きながら宿題を片づけた記憶はありませんか?
一方で、7月のうちに全部終わらせて、残りの夏休みを思いきり遊ぶ子もいましたよね。
成績のいい子ほど、宿題が先だったので、「なんで?」って聞いたことがあるんです。
そうしたら、「先にやったほうが、後が楽しいやん」……って。
頭のいい子は言うことが違うなーと思っていたんですけど、高校に入り、能力も、才能も、意志も、ぜんぜん必要なかったことを体験しました。
実はこの違いが、私が雪辱サロンの講座料を「無償制度」にした理由につながっています。
期限までに課題を出した人だけ、翌月の講座料がかからない。
そんな仕組みです。
なぜ、わざわざそんなことをするのか?
少し遠回りになりますが、夏休みの宿題と、母の病室で出会った医師たちの話から語らせてください。
夏休みの宿題を、7月に終わらせる子にあるもの
宿題を先に終わらせる子にあるものは、「楽しみ」。
「終わったら、いいことがある」という楽しみです。
夢や目標を叶えるうえで大切なのは、「何をするか」より、「いつするか」。
いつするか?
何をするか?
この順番がいちばん大事なんです。
これは、『7つの習慣』の「最優先事項を優先する」にも通じる考え方です。
この子たちにとっての「いつ」は、宿題が終わったあと。
その先に「いいこと」が待っているから、先にやってしまうんです。

では、その「いいこと」とは何だったのでしょう?
表向きは、プールや花火、気がねなくできるゲームかもしれません。
でも、本当にほしかったものは、もう一つ奥にあるんです。
7月の終わり、「全部終わったよ」とドリルを見せたとき、かけてもらえた言葉。
えらいね。
早く終わらせてくれて、ありがとう。
そして、胸の中にわいてきた「自分って、やればできるんだ」という手応え。
子どもが本当にほしかったもの。
それは、「意味のあるありがとう」と、そこから生まれる自信だったんです。
高校で、私の成績が上がったのも、「ほめ」と、「意味のあるありがとう」が要因でした。
この2つは、最強だと実感しています。
一方、8月31日に泣きながら終わらせた子も、宿題そのものは仕上げています。
でも、かけられる言葉は「だから早くやりなさいって言ったでしょ」。
同じ宿題をやり遂げたのに。
違いを分けたのは、「何を」したかではなく、「いつ」したか。
ただそれだけなんですよ。
順番が違うだけで、ほめられない、感謝されない、自信もない。
こうした「いつ」を1番に置いて、「いちばんほしい、いいコト」に向かって動く考え方を、私は「報酬系」と呼んでいます。
反対に、「いつ」を後回しにする考え方が、「苦痛系」。
(ほかにも言い方はあると思いますが、私は呼びやすいのでこう言っています。)
苦痛系は、どうしてもやっつけになりがちです。
「いつ」を後回しにすると時間に追われるので、たとえ好きなことでも苦痛になっていくからです。
時間に追われる人生はものすごくしんどい。
時間は、自分が追いかけることで楽になる。
これは、大人の仕事も同じです。
締め切りギリギリまでかかったものには、それだけのこだわりがあります。
でも、ギリギリまで手をつけず、急いで仕上げたものは、やっつけ仕事です。
かといって、時間をかけたからいいものができるわけでもありません。
どれだけやったかではなく、どう取り組んだかが、そのまま仕上がりに表れるんです。
その取り組み方(段取り)で、いちばん最初に決めるのが「いつ」です。
いつ始めるか?
いつ終わらせるか?
この2つを出発前に決めておかないと、行動は止まりやすくなります。
毎日、今していること以外に何も起きない、なんてことはまずありません。
「何をするか」から考えると、ほかの用事に押されて、先延ばしが増えていくんです。
そして、止まったところからは、お金も流れ出ていきます。
時間は、止まってくれませんからね。
「報酬」は、お金のことだけではない
少し脱線しますが、親が赤ちゃんのおむつを替えたり、ミルクをあげたりするとき、見返りは求めませんよね。
それを「無償の愛」と言います。
これも、実は「報酬系」なんです。
「報酬」と聞くと、お金のことだと思いがちです。
でも、おむつを替え、ミルクをあげて、親はどんな「いいコト」を受け取っているのでしょう?
子どもが親のために動く理由も、報酬系なんですよ。
いちばんわかりやすいのが、「はじめてのおつかい」。
3歳くらいの子が、はじめて一人で冒険するのは、どれほど怖いだろうと思います。
ケーキも豆腐も潰れてしまって、「おつかい」の役目を果たせない子もいる。
それでも親は、わが子をほめ、泣きながら「ありがとう」と抱きしめる。
その姿に、心を打たれる人は多いはずです。
子どもの「いちばんほしい、いいコト」を映す番組ですね。
報酬系は、「いいコト」がほしくて、後回しでいいことでも、つい先にやってしまう。
絶対にできないようなことでもできてしまうのが、報酬系の最たる特徴です。
では、大人がいちばんほしい「いいコト」とは何でしょうか?
母の病室で、医師たちが気づかせてくれたこと
私は母の闘病に長く付き添っていたおかげで、昼も夜も、たくさんの医師と話す機会がありました。
あるとき、どうして医師になろうと思ったのかを聞いてみたんです。
どの先生も、口をそろえて「人の命に関わる仕事がしたかったから」。
想定内の答えでした。
でも、それなら消防士という道もありますよね。
その疑問を解いてくれたのは、「どうして、その科を選んだのか?」への本音でした。
こちらも、申し合わせたように同じでした。
家族や身近な人が、その科の病気で苦しんだから。
皮膚科なら皮膚の病気、消化器外科なら腸の病気、というように。
親がその科の専門医で、治せない病気に苦労する姿を見てきた。
そういう先生もいました。
もちろん全員ではありませんし、目的は人それぞれだと思います。
お金のためではないことも、そばで見ていてわかりました。
休みの日も、母の消毒に来てくれる。
緊急のときは、夜中でも飛んできてくれる。
心の休まる暇がない仕事を、お金のためだけに選ぶはずがないと思ったからです。
だから、聞いてみました。
「医師として、いちばんほしいものは何ですか?」
答えは、これも全員同じでした。
ありがとうと言われるコト
研究が新薬に結びついて、ありがとうと言われたい。
手術が成功して、ありがとうと言われたい。
新しい治療法に効果が出て、ありがとうと言われたい。
医療の世界で必要とされる理由は、「意味のあるありがとう」のためだったんです。
人の背中を押せる自分の背中は押せない
こうした「必要とされる理由」を、存在意義と言います。
存在意義は、行動することでしか手に入りません。
といっても、大げさなことではありません。
席を譲る。
荷物を持つ。
花に水をあげる。
そんな小さなコトです。

ところが、ここで禅問答のような矛盾にぶつかります。
人にできることが、自分にはできないのです。
人の背中を押せる自分の背中は押せない。
人の後ろ姿が見える自分の後ろ姿は見えない。
だから、自分の存在意義は、自分ひとりでは見えなくて当たり前なんです。
母が最後に残した問い
母が息を引き取る一週間ほど前、私にこう言いました。
私にできることあるんかな?
だから、言いました。
「何もしなくていい。息をしてほしい」……と。
人は、自分がどれほど大切に思われているかを、自分では見ることができません。
それは、自分の後ろ姿が見えないのと同じです。
それでも人は、最期の瞬間まで、誰かに必要とされたいと願う。
では、自分の背中が見えない私たちは、どうすれば自分の存在意義を確かめられるのでしょうか?
自分との約束を守ることは、自分への「ありがとう」
いちばん効果のある小さなコトは、「いつ」を自分で決めて、それをやり遂げること。
つまり、自分と交わした約束を、自分で果たすことです。
ところが、これができない人が本当に多い。
誰にも怒られないし、責任もないからです。
でも、怒られない、責任もない場所には、「いちばんほしい、いいコト」もありません。
だから、行動できないのではなく、したくなくなるんです。
大人になり、リーダーになるほど、ほめられる機会は減ります。
できて当たり前だからです。
それに、ほめられることが目的になると、夢や目標のほうが手段になってしまいます。
だから大人には、ほめ言葉より「意味のあるありがとう」が効きます。
そして、自分との約束を守ることは、自分への「根拠のあるありがとう」になるんです。
期日を守る(やっつけにするかは、自分次第)
自信がつく(できた!)
挑戦のボタンが押せる(やればできる!)
自己効力感が芽生える(私って、すごいかも?)
この積み重ねで、自己肯定感は少しずつ育っていきます。
「私はできる。私はすごい。私は価値がある」……。
そんな呪文をつぶやいても、何もしなければ魔法も効きませんからね。
医師たちが求めていたのも、行動の先にある「意味のあるありがとう」でしたね。
つまり、「やる順番」の3番目になります。
いつするか?
何をするか?
どんないいコトがあるか?
ただ、ひとりで交わした約束は、破っても誰にも気づかれません。
自分の背中は、自分では押せないからです。
「オイ、約束は?」……ってね。
「無料」ではなく「無償」にした理由
ここからは、一休さんのトンチのような話です。
化粧品についてくるサンプルは、「無料」ですよね。
一方、くじで「北海道3日間の旅」が当たったら、それは「無料」とは言わず、「無償」と言います。
両者の違いは、「価値」です。
誰でもタダでもらえるものが「無料」。
選ばれた人だけがタダになるものが「無償」。
ものすごくおおざっぱに言うと、そんな違いがあります。
雪辱サロンの思考編・基礎講座は、月2,980円(税込)です。
翌月分が引き落とされる7日前までに課題の回答を送ると、翌月の講座料が無料になります。
間に合わなくても罰則はありません。
2,980円が引き落とされるだけです。
回答を提出すると、次の教材が見られる部屋の鍵が開きます。
つまり、期限があるのは支払いのほうで、学習のほうではありません。
学ぶペースは、自分で決められます。
ただ、「いつでもできる」状態は、誰でもタダでもらえるサンプルと同じ価値になりやすい。
期限に間に合っても、やっつけなら講座の効果は出にくい。
これも事実です。
自分で払ったお金を、期限内に、自分の行動で取り戻す。
それは、選ばれた人だけがタダになる「北海道3日間の旅」を当てるのと同じ価値になります。
期限は、あなたをジャッジするためのものではありません。
ひとりでは押せない背中を、そっと押すための仕組みなのです。
私にとっての理由も、正直に
Storyにも書きましたが、私は駆け出しの頃、無料で作ったものを、使ってすらもらえないまま忘れ去られたことがあります。
「無料とは、こうもぞんざいに扱われるのか」
あの悔しさが、この制度の出発点でもあります。
そして正直に言えば、この制度は私のためでもあります。
期限を守れる人は、自分との約束を守れる人です。
そういう人とは、お互いに信頼し合えます。
実戦編の伴走でも、本番で結果を出すところまで、一緒に走り切れます。
だから、無償制度は、信頼できる関係のまま、一緒に第二幕へ進むための仕組みでもあるのです。
途中解約も、実戦編へ進むのも、あなたの自由です。
強制は一切ありません。
無料にするか、無償にするかは、あなたが選ぶ
翌月の講座料がタダになる。
その価値を、誰でももらえる「サンプル」に変えるか?
自分との約束を果たした人だけの「当選品」に変えるか?
それを決めるのは、私ではなく、あなたです。
期日を守った人にとって、翌月の講座料は「無料」ではなく「無償」です。
そして、払ったお金と一緒に、自信も戻ってきます。
その自信は、夏休みの宿題を7月で終わらせた子がほしかったもの。
母といっしょに、最期まであきらめずに闘ってくれた先生たちがほしかったもの。
それが、「ありがとう」の言葉に乗って戻ってきます。
さぁ、あなたは、どちらを選びますか?
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